寒立馬との再会 暖冬のアタカ -1- モノクローム -1-
写真1
撮影日/平成21年1月24日
Picture Date
January, 24 2009
寒立馬の息遣いを撮りたい!
  寒立馬(かんだちめ)を撮影したのは、何年ぶりになるだろうか。
  私の過去のページを溯って確認すると、2003年6月21日28日に掲載したのが確認できたので、撮影日の2003年5月26日が最後ということになる。
  となると、実に六年ぶりの再会だ。
  この六年の間に、寒立馬を取り巻く環境も大きく変わったような気がする。
  今回の撮影日が土曜ということもあり、観光客やカメラマンを運んできたと思われる乗用車が、寒立馬が放牧されている牧場の道沿いに数台駐車されていた。これほどの人数になると(と言っても5,6人ほどなのだが)、撮影の際に、人影が入らないようにフレーミングするのが、とても難しくなってしまう。
  しかし、5,6人の観客で済んでいる内は良い方で、時折大型バスに乗り付け、大挙し観光客がやってくるというから凄まじい。寒立馬以外に、この真冬の尻屋崎に、観て楽しむものなど他にあるというのだろうか。東北で最初の灯台(1876年/明治9年)とされる尻屋崎灯台とて、恐山も閉山されているこの厳冬期に、青森市から三時間近くかけて、わざわざ観に来るだけの価値があるとは思えないのだ。
 しかしである。寒立馬の写真が、さまざまなカメラ雑誌で紹介され、色んな方々が賞を頂いているのを目の当たりにすると、『これじゃあ、カメラマンにとっては垂涎の的だろうな』と思わざるを得ない事情もある。今回改めて撮影をしてみて、確かに寒立馬という被写体は、時間とお金をかけてでも撮影したい馬であることは間違いないと確信していた。
  私が、寒立馬の写真撮影のため、この地を訪れたのが2001年の春先であった。当時は、日曜日でもカメラマンはせいぜい一人ほどしか現れることがなく、広い牧場は、自分一人の屋外スタジオのようで、縦横無尽にあらゆる角度で馬たちの姿を撮影し、時折馬に語りかけては、孤独の撮影を楽しんだものである。
 アタカの牧場への道も整備されてはいなかったため、雪が降り積もった朝なら、牧場までは、車でさえも辿りつけないほどの僻地であった。そして撮影される側の馬も、今ほど人慣れはしていないため、私が仔馬に近づくと、附近で様子を見ていた母馬から、『仔馬に近づくな!』と歯を剥き威嚇されたことも一度や二度ではなかった。この母馬の形相は、実に恐ろしいものなのだ。
 しかし今現在は、アスファルトの道が牧場の前まで整備されており、馬も相当人に慣れてしまっているためか、馬のことを何も知らない人でも、真後ろに立たないなどの注意点を守れば、簡単に面白い映像が撮れてしまうらしい。

 私が寒立馬という馬の存在を知ったのは、2001年の春先から、更に10年以上も溯った晩夏のことである。
 当時宿泊していた『尻屋YH(現在は閉鎖)』の仲間が、冬でも放し飼いにされている馬がいるとの情報を掴んでいて、それが夕食の話題にもなった。『尻屋YH』を選んだのは、単にむつ市にある『恐山』観光の中継地的な(むつ市には『YH』がなかった)宿泊だったが、私たちは連泊を決意し、その馬を皆で観に行こうということになった。
 翌朝、ユースホステルの好々爺なペアレントさんが、「馬(マ)は(尻屋崎の)あちこちさ散らばっているから、確実に観たいのなら、、桑畑山さ行けば良いんだ」ということで、皆で車に相乗りし、道なき道を放牧の地とされた『桑畑山』へと、勘だけを便りに向かった。
  桑畑山とは、現在は風力発電のあの大きな白い羽が数十基も廻っている丘のことで、当時はその山全体に、数百頭からの寒立馬や牛が、群れを成して放し飼いにされていたのである。それは異様な光景であり、現在の十数頭が屯しているアタカの牧場とは比べものにならないほどの迫力と、それに比例した馬糞が、草いきれと共に薫る大自然の放牧場だった。
  馬には、大人の親指ほどの虻(アブ)が無数に張り付き、血を吸い続けている。人間ならば、思わず悲鳴を上げそうな激痛を伴っているに違いないが、馬の尻尾は、そのアブを払うための、はたきのような役割をするらしい。試しに友人の一人が、馬の背中を小枝で軽く触れてみた。すると馬は、その棒をめがけて尾っぽを振り上げ、見事命中させ、小枝をはねのけてしまったのである。
 こうして、馬たちと戯れ、半日が過ぎた頃、ホステラーの一人が、こんなことを口にした。
「馬を観るなら、真冬に来なければ意味がないよ。夏なんて、馬や牛を放し飼いにしているところなんか、どこにだってあるんだから」
 この一言がきっかけとなり、その年の暮れにも、私は『尻屋YH』での年越しを兼ねて(この時の賑やかな年越しは、ずっと記憶に残っている)寒立馬を観に向かった。当時は『YH』の一階の窓ガラスが、屋根から落ちた雪で破れるほどの積雪があり、宿泊者全員で、除雪作業を手伝ったりしたほどである。そんな調子だから、馬たちが暮らす地にも、どか雪が降り積もり、深い雪を蹄で必死に掘り起こし、僅かな草をはんでいる馬の姿に、新年早々、『生きるって逞しいぜ!』と、えらく感銘させられたものだった。
  当時は、人間の手を介さない馬たちの出産も見物できたようだが、死産する仔馬も、難産で息絶える母馬も多く、現在では人間の手による出産に変わってしまっている。

  と昔話を書けばきりがないから、この辺で辞めるとするが、寒立馬の撮影は、いつもならば近くの旅館に宿泊し、数日に渡ってじっくりと腰を据えて行うのが通例なのだが、今回は、友人のすりぶる氏の車で撮影に向かい、日帰りという強行スケジュールになってしまったため、撮影時間が至極短かったのが悔やまれる。
  この地は太平洋に面しているため、海からの風も強く、その昔は100キロ近い体重があった私でさえ吹き飛ばされるほどの、激しいブリザードに悩まされたりもした。そんな悪天候が逆に“厳寒の中に生きる馬たち”の写真に更なる迫力を付けてはいたのだが、戦後二番目の暖冬となったこの冬は、あの頃のような悪天候に恵まれる?ことはなかったことも、残念でならない。
  しかし、僅かな時間だったが、普段から積雪の少ない地方にも関わらず、雪は降ってくれたし、日帰りの撮影旅行としては、まあまあな映像群に仕上がったと思っている。
 今回の短時間の撮影で心掛けたことは、『寒立馬の姿』ではなく、『寒立馬の息遣い』を撮りたいと願ったことだろうか。果たして、そのような絵になったかは、いささか疑問でもあるが・・・。

 風景写真の撮影で大切なのは、実は地元に宿泊し、其処の人々との触れ合いの中から、様々な情報を導き出し、また時間(とき)の流れに身を任せ、得られた知識や体験を写真に移植することなのであるが、私のこのような他愛ない言葉に、何人の人が耳を傾け、賛同してくれるのだろうかと疑心暗鬼にもなってくる。
 私が以前に撮ったモノクロ映像に加工した寒立馬の写真[2002年3月12日に掲載]カラー映像[2002年2月23日に掲載]が存在するが、こんな風景は、日帰りの撮影旅行では、決して撮れないのである。

  それにしても、尻屋までの道は遠い。
  私にとっては、身近だった寒立馬は、今は“遥かなる彼の地に生きる観光化された被写体”となってしまったような気がしないでもないのだ・・・。


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使用カメラ
撮影カメラ
EOS Kiss X2 (EOS 450D)