〜特集 津軽の魂T/霊体が息づく津軽 1〜 川倉賽の河原地蔵尊 1/青森県五所川原市
 
写真1 境内にある野晒しの地蔵。 本日の写真はすべてCanon IXY-DIGITAL400にて撮影
撮影日/平成17年5月26日
Taking a picture day
May, 26 2005
左写真2 賽の河原山門
山門は比較的新しい造りとなっている。
下写真3 仁王像が睥睨する地蔵尊堂
寺らしく、一対の仁王が参拝者を迎える。
   
 
   

  一体どのくらいの方がこのような言葉を信じるか解らないが、どうも私は体調が優れない・・・。
  いや、さきほどまでは何と言うこともなく日々の仕事や雑用を行っていたのだが、このページを編集し始めた途端に、身体に変調をきたし、作業を躊躇せざるを得ないという状況が続くのである。
  そう、本日から三回に渡って掲載する予定の『津軽の魂/霊体が息づく津軽』というシリーズの掲載作業をパソコンで進めていたのだが、この作業中に決まって身体に、そしてパソコン本体に、理由が解らぬ支障がでてくるのである。ということで、このシリーズは、身体の具合やパソコンの不具合を窺いつつ、折々に連載したいと思う。

 本日アップした写真は、撮影日時の欄を確認して貰えれば解ると思うが、2005年の5月26日に撮影したものである。撮影したカメラも、当時、サブ機として使っていたIXY-DIGITAL400で撮ったものだ。
  当初は撮影した写真を近日中にWebに掲載する予定であったが、一連の撮影を終えて弘前の実家に帰宅すると、原因不明の頭痛に襲われ、とても写真の編集をするどころではなくなってしまった。これは本日巡った寺で、何かが憑依してきたのではないかと、兄の身体を心配する妹が、早速除霊をしてくれたためか、しばらくすると、その痛みも和らいで、ひとまず安堵した記憶がある。と書けば、「妹さんは、“そんなこと”をしている方なの?」と突っ込みを入れたくなる人も多いのだろうが、彼女はキリスト教徒でありながら、憑依霊の存在を信じ、その除霊方法を熱心に学んでいたりする。妹のキリスト教的除霊が、仏教寺院を巡って起こった原因不明の頭痛に不思議に効くから面白い。
  私は霊感が普通の人よりも強いことは、以前から幾度となく記述してきたが、これは何も私だけではなく、同じ血を父母から受け継いだ妹にも言えるようである。母方の親戚にはこのような不思議な力と信仰心を持つ人間がいないことから、私は父方の何らかの因縁によるものではないかとも推測している。この点に関しては、以前に記述しているので、興味のある方は、過去のページを参照していただければと思う。

 さて、話をこの写真を撮影した、『川倉賽の河原地蔵尊』に戻すとしよう。
  この寺があるのは、今や立侫武多で名を馳せる五所川原市であるが、此処は、2005年3月27日までは、あの文豪・太宰治が生まれ育った『斜陽館』がある『金木町』として存在していた。しかし、全国規模で市町村の合併劇が行われたこの年、翌日の28日より、北津軽郡市浦村と合併し、新市制による五所川原市として生まれ変わった。
  この寺は、その『金木町』にある、知る人ぞ知る心霊スポットとして、青森県内、特に津軽地方の方なら、一度は名前を聞いた方も多いのではないだろうか。しかし、さすがに恐山ほどメジャーで高名な霊場でもなく、なにせ寺が醸す不気味さは恐山の比ではないので、誰も好きこのんで行くことをしない、辺境の場所であることは間違いない。寺というだけに、お墓もあるにはあるのだが、こちらは小山の谷間に都会の霊園のような比較的近代的な集団墓地となっており、イタコが暮らす津軽という、一種独特で陰鬱、霊的で異郷然としたイメージを彷彿させるのは、この『川倉賽の河原地蔵尊』内部だけである。
  今から三年以上も前、この場所を訪れたのは、勿論訳があった。最初はWebに掲載する写真の撮影などという目的などではなく、以前から構想していた『ホラー小説』(現在も執筆中)のための、単なる取材であった。
  津軽には古くから『死霊婚(しりょうこん)』という儀式が存在する。『死霊婚』は『死後婚』とも呼ばれ、独り身で死んだ青年や子供たちに、死後の世界で嫁や婿を迎えさせ、一人の男として、また女として、成仏させてやりたいという遺族の想いが、このような風習を作ったらしい。
  死んだのが息子ならば白無垢の花嫁の人形を、娘ならば袴姿の花婿の人形を、他界した子供の写真と共にガラスケースの中に入れ、寺に奉納し祈願するというものである。つまり、死んだ我が子の成婚を、生前は果たせなかった子供達に代わって、親や親族が人形を介して行う儀式なのだ。

 同じような風習は韓国にも存在するらしいが、子供を他家へ嫁がせ、または嫁を貰って一人前の男、そして女と考える親の思いは、どの国も変わらないということだろうか。残念ながら、本日掲載した写真には、『死霊婚』の映像は存在しない。撮影も可能だったのだが、さすがにこの『川倉賽の河原地蔵尊』に長居はしたくはなかったので、早々に引き上げてきてしまった。
『死霊婚』の写真に関しては、別の寺で撮ってきたものを、後日、掲載したいと思う。それにしても、この『川倉賽の河原地蔵尊』が発する霊気には、さすがの私でもたじろいでしまった。ホラー映画が大好きな私は、どんな映画でも怖いと感じることは殆どなく、そのため、わざわざ真夜中の2時、3時に暗い部屋で一人で鑑賞するのが常となっていたが、此処のような霊体がうようよする心霊スポットに関しては、さすがに鳥肌が立ち、強い目眩と悪寒を感じたために、10分ほどで逃げ帰ってきてしまったほどである。その折には、財布と並び、これまで一度も紛失したことがない貴重品の手帳を、どこかに落としてきてしまったのだから、その慌てようは相当なものだったのだろう。
 本日掲載した映像は、小説に使う資料映像(サンプル)であるために、これが私の写真(作品)です!と胸を張って見せられたものでは決してないが、“そんな、特殊な映像だからこそ、観たい!と思う方も少なくないだろう”と考え、掲載に踏み切った次第である。

写真4 屋外の地蔵は、どれも歴史を感じさせる。

 シリーズ二回目は、『写真8』にて一部紹介しているように、いよいよ『川倉賽の河原地蔵尊』の内部の映像紹介を考えているのだが、編集作業にあたり、何らかの支障がでた場合は、とりやめることも考えていることだけは御了承願いたい。
  青森は、本州の最果ての厳寒の地であるために、昔から饑餓による犠牲者が多く、この五所川原に関しては、湿地も数多点在しているために、水に脚を掬われた子供の事故も他の地域と比べものにならないほどに報告されている。そのための供養が『死霊婚』として根付き、永らく津軽の風習、そして信仰の対象になってきたのかも知れない。
 津軽には、無数の霊体が息づく歴史と、シャーマン(イタコ)に代表されるように、その霊体と交わり、あの世での幸せを祷る『死霊婚』のような独特の信仰が存在するのも頷けよう。


写真5 写真4の地蔵を更に間近で撮影。
写真6 画面手前の穴の開いた石に、線香や花、風車を供えるのだろうか。
写真7 この寺の地蔵には、すべて布が巻かれ、服が着せられている。一つ一つに、人々の魂が宿っていると考えられている。
 
上写真8 これが川倉地蔵尊堂の中の映像。
霊感の強くない人でも、思わずぞっとなる光景だ。
 
 
 このページの編集には、通常では考えられないほどの時間を要した。
  2005年からだから、三年以上の歳月を経たことになる。
  これらの映像を皆さんにもお見せしようと編集作業を始めると、きまって訳の分からぬ目眩や身体の痛み、そして霊障とも言えるようなパソコンや制作ソフトの不具合、そして軽いポルターガイスト現象に見舞われた。
  本日掲載した映像を、それぞれが観賞目的でコピーし保存するのは構わないのだが、いかなる災いが起こっても、私の与り知らぬものとしたい。
  次回は、いよいよ『写真8』に続く、『川倉地蔵尊』の内部を掲載したい。勿論、掲載できればの話だが・・・。
□ 2009年3月の追記。第二弾が何事もなくアップされましたので、ご覧下さい。
    2009年3月3日公開 『川倉賽の河原地蔵尊2/青森県五所川原市(金木町) 霊体が息づく津軽 2

 
使用機材  
撮影カメラ
Canon IXY-DIGITAL400