温暖化なら更に熱い夏にしようぜ!青森ねぶた 34 〔一挙24枚を掲載!!〕
写真1
撮影日/平成20年8月2日〜6日
Taking a picture day
August, 2nd through
August, 6th, 2008

東北電力ねぶた愛好会
県庁ねぶた実行委員会
〜二つの穐元和生ねぶた 〜



 2008年の夏に撮影した『青森ねぶた』の撮影在庫も残り僅かとなった。 本日を入れて、あと三日分のストックを使い果たすと、今年のねぶた写真も、いよいよ終わる。編集作業に手間取り、結果的に2カ月もの長期に渡っての掲載となったが、これで私もやっと安堵できるような気がする。
  安堵というのは「おらほのねぶたっこ、写ってねべがな」と掲載を楽しみにしていたギャラリーの皆さんに、“例え僅かでも”お見せする機会を持てたことに関する、自分なりの達成感にである。
  そして、この掲載が終わったら、来期はどんな手法で撮影に挑もうかと、今から考えてみたいと思う。今年は撮り足りないシーンやカットが余りにも多すぎたとも言えた・・・。
  この失敗を、来期はぜひ補いたいのである。
 本日は『東北電力ねぶた愛好会』による『源義経「鵯越の逆落とし」作/穐元和生[写真1〜15]』と、『県庁ねぶた実行委員会』の『左甚五郎造像「仁王」/作 穐元和生[写真16〜24]』のねぶたをアップした。  

 この二つのねぶたは、共にねぶた師・穐元和生氏が制作した山車であるが、武者の顔が幾分童顔なのが、彼の特徴でもある。
『東北電力ねぶた愛好会』による『源義経「鵯越の逆落とし」』のエピソードは、これまでにも何度となくねぶたの題材とされ、余りにも有名な日本の歴史の1シーンである。平家を攻め滅ぼさんとする、源氏軍の総大将・源義経が、絶対に馬では駆けおりることができないとされた断崖絶壁の鵯越に立った。眼下には、鵯越を背にした平家軍が、海上からやってくるであろう源軍を待ちかまえている。彼らは、背後に敵が迫っていることなど、知る由もない。よしんば背後に潜んでいたとしても、絶対にこの崖を下りて襲い来ることなど、念頭にないほどの急勾配の坂だったのである。しかし、駿馬の生産地である奥州で育った源頼朝は、馬を扱わせたら右に出る者はいない。「鹿が降りられるのに、馬に下れぬ訳がない」とばかりに先陣を切って崖を駆けおり、平家軍に襲いかかった。大将が下ったのに、黙ってみている家臣はいない。義経に続けとばかりに源氏軍は平家を背後から急襲し、この戦に勝利したとの逸話をもとにした山車である。現在の脚の長いサラブレッドであれば、このような戦法が果たして通じたかは解らないが、当時の馬は現在の驢馬のように背が低く寸胴であったために、転ばずに敵陣に攻め込み、勝てた戦であったと私は推測する。こうした日本人の誰もが知る場面をねぶたとする方が、実は私は好きである。
 そして、穐元氏のもう一つのねぶた、『県庁ねぶた実行委員会』による『左甚五郎造像「仁王」』は、あの日光東照宮の仁王像を造ったとされる伝説の彫刻師である。が、穐元氏の解説文によると、左甚五郎とは、決して一人の人間を指すものではないとのこと。茶道や和歌にも通じ、ある時は大工の棟梁だった本来の左甚五郎、そしてある時は、各地で腕を揮った名もなき工匠たちの代名詞であるという。しかし、山車は、真っ赤な仁王像を彫り上げ、いま正に魂を吹きこみつつある、本来の固有名詞の左甚五郎と仁王像を描いたものらしい。一人(左甚五郎)と一体(仁王)の左右には、日光東照宮には欠かせない、三猿のうちの二匹(『きかざる・いわざる』)が描かれているのも面白い。ところで、『みざる』は、後方なのかな?背景を撮っておけば良かったと項垂れる・・・。これも今年の反省点である。


写真2
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使用機材
撮影カメラ
EOS-1D
使用レンズ
EF16-35mm
スピードライト580EXU/トランジスターパックE(Ni-Cd)