温暖化なら更に熱い夏にしようぜ!五所川原立佞武多 4 〔一挙16枚を掲載!〕
写真1 この金看板こそ、ねぶたに関わる人々の憧れだ。
撮影日/平成20年8月8日
Picture Date
August, 8 2008
天晴れ!五所川原立佞武多!!

『北京オリンピック』の開会式が始まった時分、私は『五所川原立佞武多』のを必死で撮影し続けていた。
  この夜、シャッターを押した回数は、約800回。本日まで四回に渡って掲載してきた『立佞武多』の映像は、『五所川原立佞武多』の最終日である八日一晩で撮りあげた作品群のみだが、それだけ、被写体になる人間が協力的で、撮影し易かったということになるだろうか。
  その他の理由としては、今月の1日から『弘前ねぷた』の撮影をし始め、ねぷた・ねぶたのストロボを利用したある種、特殊なスローシンクロ撮影に慣れてしまったということが、大きな理由にもあるように思われる。
  これまでは、ストロボを使ったねぷた・ねぶたの撮影に慣れるまでは、毎年、最低でも四、五日を要し、6日あたりから本格的に、面白い写真が撮れ始めたるのだが、それと同時に、ねぷた・ねぶたの運行が終わってしまい、残念に思えることが随分と多かった。それが今年は、その慣れ始めた撮影感覚を、そのまま8日の『立佞武多』撮影に生かせ、爆発的な撮影枚数に繋がったのだと想像出来る。私自身、この日の『五所川原立佞武多』の写真が、撮っていて一番楽しかった。撮り上がる写真が、どれも面白く仕上がっていたからである。

  しかし、2日、3日と『青森ねぶた』で続けて降られた雨のお陰で、カメラは絶不調の状態で、シャッターを押しても撮影できないことが、3度に1回の割合で起こっていた。せっかく、これぞ!という被写体や瞬間に出遭っても、撮り逃がすことも多く、もし、この不具合さえなければ、もっともっと面白い絵が撮影できたであろうと、悔やまれてならない・・・。4日以降の『青森ねぶた』の撮影では、この不具合と必死に格闘していたのである。
  自分の撮影への想いばかりを書いてしまったので、ここで『五所川原立佞武多』のことに、改めて触れてみたい。

  一台の運行費用が二千万にもなる『青森ねぶた』の場合、有名企業がスポンサーになっての出陣が多く、あるいは多くの人々のカンパや寄付によって支えられている団体も存在する。それに対し、『弘前ねぷた』は、運行費用が数百万ということもあり、昔からの町内単位による運行がその大半であり、これも町内の人々や商店主の寄付によって支えられている。一方、この五所川原の場合は、中型の立佞武多や組侫武多は、『弘前ねぷた』同様に、各学校や町内・自治会の寄付によって運行されていはいるが、大型の『立佞武多』は、完全に市の援助によって制作されていると言う。なるほど、この侫武多一つで、これまでの『五所川原ねぷた』のイメージを一新させ、これほどに全国に名を轟かせる結果に至っているのだから、経済効果を考えれば、それも十分納得させられる。町興しの興行としては、全国でも稀に見る大成功の一例だろう。
  続いて、『立佞武多』の掛け声について。
『青森ねぶた』の掛け声の『ラッセラー』は有名だが、これは『酒を出せや、蝋燭を出せや』と騒いだ、『出せや』が転じてなったとされている。『弘前ねぷた』では、『ヤーヤドー』となるのだが、これは、江戸時代からの囃子詞である、『ねぷたコ流れろ、豆の葉さ止まれ、ヤレヤレヤレヤ』の『ヤレヤレヤレヤ』が転じてなったようだ。
 一方の『五所川原立佞武多』の『ヤッテマレ、やって(殺して)まれ!』という、何とも物騒な言葉は、明らかに、ねぷたの元祖である『弘前ねぷた』から来ている。 『弘前ねぷた』はその昔、『喧嘩侫武多』とも呼ばれ、廃藩置県で武士の社会が終わりを告げた明治期に、士族の誇りを未だ持つ武家屋敷町の人間と、商人が集う下町の人間が作ったねぷたが出会い頭に喧嘩をし、互いの侫武多を破壊し合った折の名残りとも云えるのだ。実際に喧嘩侫武多では、真剣が空を切り、屋根に載せた漬け物石が頭上から落ちてきたりもして、死者も複数出ている。喧嘩の現場に、切り落とされた腕が落ちていたということもあったらしい。その時のお互いの侫武多の担ぎ手達が発した言葉が、『ヤッテマレ!』であったとのこと。
 だが、喧嘩侫武多が、五所川原で実際に行われたという話は、私は聞いたことがない。この掛け声一つにしても、『青森ねぶた』や『弘前ねぷた』とは同じことはしたくはないという、五所川原人のじょっぱり(強情張り)気質に由来しているとも云えるのだ。
  それと同時に、祭りの最初と最後に、演歌歌手の吉幾三が現れ、『立佞武多』の歌を盛大に唄い、まるで五所川原商店街を使った広大な“立佞武多ショー”を見せられているかのような演出には、度肝を抜かれた。(写真14)
  私が最後に訪れた、六年前には、このようなものは存在しなかったのだが、“人をとことん楽しませる”という意味では、『弘前ねぷた』には希薄な、強いエンターテイメント性を『立佞武多』には感じることができる。
  天晴れ!『五所川原立佞武多』!!と賛美し、心から更なる発展を期待したいものである。

  追記
  本日は特別に2001年当時、まだまだ粗末な小屋に入っていた頃の『五所川原立佞武多』の映像を、『写真16』に添付してみた。


写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8 ヤッテマレ〜、ヤッテマレ〜!と沿道に叫ぶ。侫武多が入るように構図を組むのは大変だ。
写真9
写真10
写真11
写真12
写真13
写真14
写真15 祭の閉会が告げられる。後日行われる花火大会を経て、五所川原立佞武多は短い夏を終えるのだ。
写真16 2001年の立佞武多の様子。当時は後方の粗末な小屋に入っていた。
 
使用機材
撮影カメラ
Canon EOS-1D (2001年撮影の『写真16』のみMINOLTA DiMAGE7)
使用レンズ
EF16-35mm/EF15mmFisheye
スピードライト580EXU/トランジスターパックE(Ni-Cd)