※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
本日【2003年8月31日(日曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【津軽の発情期!ねぷた・ねぶた祭 22/ねぷた・ネプタ・侫武多(ねぷた)祭 2】
 
 
  本日は6枚の写真を掲載いたしました。


  古くから地元住民に、そして観光客から親しまれてきた『弘前ねぷた』祭であるが、今年は一日の観光客数が、あの巨大な立ちねぷたを擁立した『五所川原/立侫武多(ねぷた)』に抜かれる日が出てきてしまった。
  扇型の木枠の前後に貼り付けた武者絵を、ただ勇壮に見せるだけの『弘前ねぷた』は、『青森ねぶた』に比べ、面白さに欠けるという評判は昔から聴かれたが、観光客数を競う相手ではなかった筈の『五所川原ねぷた』にさえも後塵を浴びせられるようになったことは、弘前出身の私としても忸怩たる想いがある。

  私が今回、五所川原の『立侫武多(ねぷた)』の撮影に行かなかったのには理由があった。
  連日の西や東への大移動は疲れるということもあったが、一番の原因は、昨年の撮影での体験である。
  私が『立侫武多(ねぷた)』の撮影をしていると、突如、「おい、君!」という言葉を老人からかけられた。
  その老人は私に、「撮影するなら、腕章を締めて撮影しろ」というのだ。
  私はムッっとして、「青森でも弘前でも、そのようなことは一度も言われたことはないですよ」と反論したが、その老人は、「五所川原には五所川原のルールがあるんだ」と傲慢に言い捨て、歩いて言った。
  これがただの地元住人が言ったことならば、私もここまでは憤慨しないのだろうが、その老人の胸には『五所川原観光協会会長』という襷が掛けられていたのである。
  私にも反論はある。『だったら、撮影する人間は必ず腕章を付けて撮影を行って下さい』との注意書きが、パンフレットなり、路上の目に付くところに記すことが必要なのではないだろうか。
  撮影者の常識という面でも、進行や観光客の邪魔にならないようにとの最低限度のルールさえ守っていれば許されると思っていた私には、これまで一度も忠告されたことがなかっただけにショックであった。しかも、『五所川原観光協会会長』という職にある老人に面と向かって言われたのだ。
  彼の態度は「それでは、どこに腕章を貰いに行けば良いのですか?」とか、「どのような腕章を付ければいいのでしょうか?」という質問を投げかける取り付く島も与えない傲慢な口調であった。

  私は今後、『五所川原/立侫武多(ねぷた)』の撮影には行っても、決して五所川原の観光の為になる直接的な宣伝はすまいと心に誓った。五所川原を舞台にする物語は絶対に書かないだろうし、いつか五所川原の観光協会から宣伝写真や紹介文を提供して欲しいと頼まれても、拒もうと誓った。団体の長がそのような閉鎖的な人間なのだ。以下に続く人間とて、たかが知れている・・・。

  そのことを後に人に話したところ、こんなことを言われたのを思い出す。
「他のカメラマンに比べ、あなたの行動が可也目立ちすぎていたのかもね・・・。体も大きいし。どこかの新聞社の報道カメラマンだと思えるように、派手に動き回ってなかった?」
  まあ、それは言えてたかも知れないが・・・。

〔本日の写真は青森県弘前市内にて撮影〕

撮影日〔2003年8月1日〜2日・5日〕

※ 使用機材 Canon EOS-1D×2/FE35mm-350mm/FE16mm-35mm/FE100mm MACRO/EF15mm Fisheye/スピードライト550EX×2/トランジスターパックE(Ni-Cd)

キヤノンEOS-1Dにて撮影されたRAWファイルを専用ドライバにて現像、『Photoshop』を使いレタッチし、リサイズして(JPEGにて)掲載。

【写真1】
 
【写真2】
 
【写真3】 自衛隊のねぷた、そして模造刀を携えた日本男児たる踊りは
『弘前ねぷた』の名物であり、市民が毎年楽しみにしているのだ。

 
【写真4】
 
【写真5】 これが有名な津軽『剛情張(り)大太鼓』。
つまり“津軽人を象徴する剛情な意地っ張り大太鼓”の意。
津軽人は昔から意地っぱりとして有名なのだ。
 
【写真6】
 
 
使用機材
撮影カメラ
Canon EOS 1D