※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
 
本日【2003年5月1日(木曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【弘前城天守閣からの景色/弘前公園の桜 8】
 
 
  本日は6枚の写真を掲載いたしました。


  日本一のさくらの名所として名高い弘前公園であるが、花は一昨日には半分に散り、昨日吹いた台風のような突風と雨で、完全になくなってしまった。というよりも、地上から消え果てしまったのある。
「桜はどこに行った??」と空を見上げる弘前市民もいたほどだ。

  その咲き具合の美しさと、散り際のギャップから、古くから武士道に殉ずる日本人を象徴する花として愛されてきた訳だが、ということで本日は、今年の桜が最も美しかった4月28日の映像をお届けしたい。

  既に何度か書き記したが、弘前城は本来の城ではなく、櫓(やぐら)を城としたものであり、全国の名だたる城から比べれば余りにも小さい。
  築城当時は、五層の屋根瓦を構えた、7万石の大名には似つかわしくない、それこそ現在にも通じる津軽人の剛情張り(ごうじょっぱり)の気質が産んだ見栄の巨城であったが、築城から間もなくして落雷により焼失し、その後の再建は徳川幕府からの許可が貰えず、現在の櫓を城として使用してきたものである。
  現在本丸として市民に開放されている広場の大きさを考えると、そこに建っていた城は、相当大きなものだったと推測するに容易い。
  現在の天守閣から観た津軽富士(岩木山)も雄大だが、五層の最上階から眺めた霊峰・岩木山も絶景であったに違いない。
  廃藩置県が施行された当時は、この本丸を始め公園内には桜の木々は少なかったようであるが、大正天皇の成婚や日露戦争での戦勝記念に、全国的に接木でたやすく増やせる桜(染井吉野)が、日本人の好みもあって植樹されていったらしい。
  ということは、津軽藩の歴代のお殿様は誰一人として、本日掲載した写真のような、桜の花々に彩られた公園内を観ていないのである。

  遥かに眺め観る白き残雪を抱えた岩木山と、染井吉野の白い花々とのコントラストは、余りにも美しい。
  このような絶景は、霧が多いと岩木山も望むことができず、空が青くなければ、山々の稜線がはっきりしないために、味わうことができない。晴天と満開が重なる好機は、年に1日あるかないかであり、私自身弘前の桜を3年間追い続け、やっと好機に恵まれ撮影することができた。また、午後になると陽が逆光となり、天守閣からの眺めを写すには、午後0時くらいまでが限界ではないかと思われる。

  この日、気温は20℃を超え、城内は行列ができるほどの観光客で一杯であったが、広い本丸に突き出た天守閣は窓を開けると風通しがよく、長居しても決して苦にはならない室温であった。

  弘前にもし、今も五層の天守閣が残っていたとしたら、観光地としての弘前は、どのように変わっていたのだろうかと残念には思える。
  現在のように、桜の背寸と櫓の大きさが丁度均等のとれた絵になっているところが、また良いのかも知れないが・・・。

〔本日の写真は青森県弘前市にある弘前公園にて撮影〕

撮影日〔2003年4月28日〕

※ 撮影したRAWファイルを『Photoshop』にて現像、JPEGに変換し、リサイズにより掲載。

【写真1】 天守閣より、西の方向にある岩木山を望む。
 
【写真2】 写真1の上下の屋根瓦を省いた横位置で撮影。
 
【写真3】 天守閣より南方方向の下乗橋を望む。
 
【写真4】 写真3とは別カットで撮影。
 
【写真5】 「特等席で花見の見物をしに来たでござる・・・が、ありゃりゃ、誰かが私を見つめてるではないか??」
 
【写真6】 「天守閣の窓から覗くあなたは、も、もしかして、津軽の殿様でござるか??
え!?頭が高い??これは失礼をば、はは〜!!」
 
 
使用機材
撮影カメラ
Canon EOS-1D
撮影レンズ
EF16-35mm/EF35-350mm
その他