※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
本日【2003年1月17日(金曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【祝!! 成人の日 X〜二十歳の視線 2〜】
 
 
  本日も、たった1枚の写真を掲載致しました。


  今年の『成人の日』に晴れて参列が許された君たちは、1982年から1983年に生まれた戌(イヌ)と亥(イノシシ)年の人たちだ。
  年号で表すと昭和57年から58年。昭和は64年で平成元年へと変わるから、あと20年もすれば、昭和生まれであることを隠す人もでてくるかも知れないね。
「あら、××さんって、昭和の生まれなの!?」「昭和で悪かったわね。平成元年のあなたに言われたくないわよ!」
  なんて会話も増えてくるかも知れない。

  1982年と言えば、国際的な事件では『フォークランド紛争』が起こった年だけど、あれからもう20年も経ったかと思うと、僕も随分と年を重ねたものだと改めて感じてしまう。
  世界地図の上では、本当に小さな島を巡って、古来から我が国とするアルゼンチンと、植民地時代の遺産を渡そうとはしないイギリスが対立した戦争だけど、当時はイヌが虎に向かっていったような、そんな戦争というイメージが強かった。
  戦ってみれば、連日のようにイギリス軍の優勢が伝えられ、最先端ミサイルの優劣で決着がついた、そんな近代戦争とのイメージが今も強い。
  考えてみれば、去年のワールドカップで注目された、イギリス対アルゼンチンの勝敗の遺恨も、この戦争から尾をひくものだったんだよね。

  この年の芸能で印象的なことはと言えば、初めてCDが発売され、映画『ET』が大ヒット年だった。
  CD、もちろんコンパクトディスクのことだけど、それまではレコードやカセットテープで音楽を聴いていた僕にとっては、針もなく半永久的に何万回も聴けるレコードなんて、化け物!という印象があった。昔はレコードの溝が磨り減ることが嫌で、買ったLPはすぐにカセットテープにダビングして、それを聴いていたものだった。
  CDはアナログなレコードに比べ音域が広く、初めて聴いた時には『機械的な音で温かみがないぞ』と思い、プレーヤーの高価さもあって、『こんなもの、絶対に流行らないぞ!!』なんて罵倒したけれど、瞬く間に全世界を席巻し、アナログレコードは消滅してしまった・・・。
  レコード針は、音楽を聴いた時間によって交換しなければならない高価な代物だっただけに、確かに針のないレコードというだけで重宝はしたし、第一EPレコードよりも小さかったから扱いやすかった。おまけにレコードに比べ静電気も少なく、埃の心配をせずに保管できたのも、当時としては画期的だったんだよ。静電気防止とクリーニングを兼ねたフロンガス入りのスプレー缶は、今も棚の中に眠ったままだ。

  映画『ET』も、特に映画が好きな僕にとっては、正にカルチャーショックだった・・・。
『レイダース』、後の『インディージョーンズ』を撮り終えたスティーブン・スピルバーグ監督が、カンヌ映画祭のオープニングで披露したことで、全世界にその映画名が馳せ、その評判は日ごとに高まり、「一体どんな映画なんだ!」ということで、日本の映画雑誌がこぞって特集をしたっけ。あの興奮と期待、そして紙面の扱いは、その後も越えるものが現れなかったほどの破格の娯楽大作との印象を与えた作品だったなあ・・・。
  当時はまだ独身だったスピルバーグを愛する、日本の俄かファンも増えたっけ。
  ETの顔は、公開前までは秘密とされていたけれど、そんな報道管制を、少年に夢を与えるはずの『少年ジャンプ』が破り掲載してしまったことは、今でも忘れたくない、当時としても多くの批判を受けた雑誌社の失態だったと思う。
  僕も公開初日に映画館に早朝から並び、観客全員で拍手をしながら観た思い出がある。

  そうそう、僕がいつも利用している『東北新幹線』が盛岡まで開業したのも、この年なんだよね。開業の始発列車を、各局がこぞって追った番組が放送されたっけ。

  そして、この翌年の1983年には、君たちにも随分とおなじみになった『東京ディズニーランド』が開業したんだ。
  園内に食べ物の持ち込み禁止。入園料の他にアトラクション毎に別料金が必要・・・だなんて、『なんてバカにしたアメリカ製の遊園地なんだ!』と、『ニュースステーション』を始め、各マスコミもこぞって批判したけど、この方法が定着するのにも、さほど時間は要さなかった。それはまでは皇居と東京タワーが修学旅行生を乗せたハトバスのメインコースだったんだけど、『ディズニーランド』の出現で、大きく様変わりしてしまった。

『サラ金地獄』という言葉と、辛さや困難に耐える少女を主人公にした『おしん』という言葉が流行ったのも、この年だったね。あの頃は、どこに行っても『おしん』の話題で持ちきりだった。けれど、『おしん』よりももっと辛い体験をしてきた人たちにとっては、『こんなの可愛そうでもなんでもないわよ!』との覚めた見方もあったとか・・・。
  国際スーパーマーケット『ヤオハン』を生んだ女社長がモデルだという噂が飛び交ったけど、そんな苦労話も、『ヤオハン』が倒産してしまった今となっては、随分と寂しい印象を受けてしまう。
 
  あれから20年・・・。
  20歳になった君という人間が、“現在の常識”を頭に入れて、今から20年前に戻ったら、きっと例外なくカルチャーショックを受けると思うよ。
  携帯電話も、3Dのテレビゲームもない・・・。まだまだ『根性』という標語を記した土産がデパートで売られていたし、いわゆる不良と呼ばれる一部の女子生徒たちが、裾が地面に付くような長いスカートを穿き、駅の改札口では切符に切り込みを入れる駅員のカチヤカチャという音が響いていた時代だった。

  となるとこれから20年先、つまり君たちが40代になり、社会の中枢で働く頃には、どんな時代になっているのかさえ、想像もつかないなあ・・・。その頃は、僕も××代・・・。想像もつかないというよりも、考えたくはないと言ってしまったほうが正解なのかも知れない・・・。

  科学やコンピューターの技術の進歩は、君たちが生まれた20年前と比べ物にならないスピードで進歩している。
  それと共に、社会の動きも考え方も価値観も、急加速し変化を続けている。
  人生の視線と視点を見間違えると、時代の流れに飲み込まれ転覆するという結果になりかねない。

  大切なのは、今の自分が何に向いて何に不向きなのかを、これから数年間、じっくりと時間をかけてみつけ見定めつつ、急流に乗り出してゆくという覚悟と日々の努力が求められるのかも知れない・・・。

〔本日の写真は神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮境内にて撮影〕

撮影日〔2003年1月13日〕

※使用機材 Canon EOS-1D/EF35-350mm
キヤノンEOS-1Dにて撮影されたRAWファイルを、『Photoshop』にて現像、レタッチを施し、JPEGに変換し、リサイズにより掲載。

これから君達は、どんな未来と希望を見つめ続けてゆくのだろうか。
 
 
使用機材
撮影カメラ
Canon EOS 1D