※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
本日【2003年1月15日(水曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【祝!! 成人の日 V〜二十歳の視線 1〜】
 
 
  本日も、たった1枚の写真を掲載致しました。


  昨日の『一枚の写真』でも記したが、今年の成人の日は、着物姿の女性が極端に少ない日であったように思う。
  特に『鶴岡八幡宮』はそうであり、南は太鼓橋付近から、北は本殿へと続く石段が遠望できるのだが、各公共施設で行われた『成人式』が終った思われる午後の1時を過ぎても、その広範囲に着物姿の女性が一人もいないことなど、これまで過去二回の撮影ではありえなかったことのように思う。
  少ない参拝者の中から、さらに自分好みの女性を見つけることは更に困難となり、よしんば着物姿の女性が現れたとしても、数少ない被写体にカメラマンが群がり、思う存分に撮影できるという雰囲気ではなかった。
  特に酷かったのは、年取った男女のカメラマンであり、人が撮影しているにも関わらず、前で撮ろうとする行動に閉口させられてしまったりもした。このような無神経なカメラマンは、例外なく年長者に多く、年をとるということは周囲の気遣いを忘れてしまうものだろうかと相当落ち込んでしまった。私だけはああはなりたくないと感じつつ、やがてあのような狼狽した様で撮影するようになるのかと想像すると、その時は撮影を辞めたいとすら思ったほどである。勿論、ルールを守って撮影しているカメラマンも確かに多いが、この違いはどの辺りで現れるのかと真剣に悩んでしまう。もしもその見えない境界線上に自分が脚を踏み入れているのであれば、反省せねばなるまい・・・。あと20年、30年を経た時に、完全にあのような姿に変わっていたくはない・・・。しかし老いるということは、自分の想像しない自分に変わるということであり、こればかりはどうにも防ぎようはないとも言えるのだ・・・。
  ただ少しだけ安堵したことは、デジタル一眼レフを扱っていた人には、そのような傍若無人な人間はいなかったことだろう。とんでもない行動をする人は皆銀塩カメラを使っていた。
  何か新しい物に興味を示し、それを素直に受け入れようとする人間は、比較的彼らの集団へと加わらない要素を持っているように思う。
 
  話が逸れてしまったが、そんな被写体が少ない『成人の日』に、私好みというか、とてもお気に入りの女性に遭うことができた。
  それが本日掲載した写真に写る彼女であり、昨日の『一枚の写真』の左側と同じ女性である。

『八幡宮』境内で行われた『成人の儀』に参列した女性達の中でも、特に何か得体の知れぬオーラを発していたのが彼女だったように思う。
  共に並ぶ友人達の中でも、特に透き通るような肌をしていていたのだが、化粧のせいもあってか決して白くはなく、健康的な日本女性そのものといった色艶があった。
  日本女性の特徴である一重で切れ長の瞳は、一見するときつそうに見えるが、私が一言の断りもなくレンズを向けても、嫌な顔をせずに写真のようにカメラ目線で微笑んでくれた。
  連れは3人居たが、私は彼女ばかりを撮影していたので、きっと快くは感じてはいなかったろう。
  尤も、私以外にカメラマンは数人居て、その点はもしかしたら余り気にならなかったかも知れない。
  特に女性であれば、彼女の着物を見てみたいと感じられる人も多いだろうが、いかんせん、私は彼女の表情しか撮影していないのだ・・・。ポートレイトならば、もっとバスト・ショットあたりを心がけるのだろうが、それでは並んだ隣の女性まで入ってしまう・・・。それにしても、これでは着物を着ている意味がないではないか・・・!!
  このような撮影方法は、これまでの私の撮影技法からして考えられない失策であり、自分でもどうかしていたのではないだろうか・・・と思えるほど、選り好みが激しくワンマンな視点を持っていたように思う。

  しかしどうだろう。絵としては、まるで撮影会に参加したモデルのような雰囲気が感じられはしないだろうか。
  私が撮影したかった女性というのは、彼女のような雰囲気を持った女性であり、そんな乙女を撮影できたことが、この日一日の成果だったように思えている。撮影会に来るモデルは、余りにもカメラに慣れすぎてしまっており、笑顔も不自然に感じられる。しかし、素人の微笑には慣れがないだけ自然であり、初々しさがどことなく漂っているのが何とも素敵なのだ。
 
  以前、私が松戸のアパートで暮らしていた時代に、エホバの証人が尋ねてきたことがあった。
  私は彼を相手に、彼らが言うところの永遠の命に関してありったけの質問をぶつけたことがある。
「人間が、もし永遠の命を得ることができるとすれば、どの辺りの年齢で永遠に生きることができるのか?」
  すると彼は、「人間的に最も成長したと思われるところでしょうか」と応えたのを覚えている。
  人間的に最も成長できる年齢など、実は有り得ないのではないだろうか。
  あらゆる経験をし、知識を積んだ筈の年配者が、あのような撮影をしているところを目にすると、決して彼らが人間的に最も成長しているようには思えない。
  ならば肉体的に最も成長しきった頃なのであろうか・・・。
  となると、23,4歳頃なのだろうか・・・。
  成長しきった時が、最も美しい時とは限らないのが、花と人間ではないだろうか。
  人が見て桜の花が満開と思える時は、実は9部8部咲きであり、人間で言うところの20前後かも知れない。

  どことなく幼さが残り、それでいて艶やかさを醸す年齢・・・。
  男性の場合は必ずしも20歳前後とは限らないが、女性の場合は哀しいかな一目瞭然である。

  二十歳の視線、その瞳の中には、世間を知らない幼さと、それでいて完成された美しさが同居している不思議な輝きが感じられるのだ。

〔本日の写真は神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮境内にて撮影〕

撮影日〔2003年1月13日〕

※使用機材 Canon EOS-1D/EF35-350mm
キヤノンEOS-1Dにて撮影されたRAWファイルを現像、レタッチを施し、JPEGに変換し、リサイズにより掲載。

とにかく、彼女のカメラを見つめるまなざしは、凛とした胸をつくような神々しさがあった。
 
使用機材
撮影カメラ
Canon EOS 1D