※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
 
本日【2002年11月17日(日曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【尻屋に生きる男、ユウジ】
 
 
 本日は4枚の写真を掲載致しました。


  津軽弁は九州の薩摩弁と並び、もっとも難解な方言だとされている。
  都会から来た人々は、津軽の人間が何を言っているのか理解できない場合も多い。
  そんな難解な津軽弁を使い聴くことができる私でも、同じ青森県内で、言葉が解らない地方がある。それがむつ(南部)なのである。

  以前に男鹿半島になまはげの撮影に行った時、彼らが話す言葉が津軽弁に非常に近いものである印象を受け、意思の疎通には不自由は感じなかったが、このむつ半島に暮らす人間の言葉が私には解らないのである。

「きょ・・・灯台・・・さあ・・・周って・・・来たんだが?」
「」の中の「・・・」にもちゃあんと言葉が入っているのだが、私が彼らの話す言葉を理解できるのは、文字にして描いた「きょ(今日)」や「灯台」や「来たんだが?」を組み合わせ、「今日は灯台を周って来たんだが?」ということなのである。本当はもっと具体的に細部を書き示したいのだが、何せ何を言っているのだか、理解できないので書きようがない。

  津軽はもともと南部の領地であったものを、津軽藩の開祖・津軽為信が言わば力ずくで奪い取った領地である。
  であるから、津軽と南部とは昔から仲が悪く、長い間、交易がなかった。それゆえ、特に海路でさえも行き着くのが難しい尻屋の人間との言葉の壁は更に大きくなったらしく、青森でありながら、言葉が通じぬ地域ができてしまったと言えるかも知れない。
  加え、新政府軍と旧幕府軍との戦闘で敗れた会津藩(福島県)の人間が、本州上での島流しにあったのが、このむつ半島であった。それらの人間の影響もあってか、ますますむつ半島の訛りは、津軽弁から乖離してい行ったとも言えるだろう。

  私が寒立馬の撮影の折にいつも使う旅館、それが『相馬旅館』なのだが、その宿にはユウジさんという、この宿の女将さんの姉弟が暮らしている。
  彼は、私が来ると微笑み、いつも食事などを部屋に運んでくれるのだが、彼が話し掛ける言葉がまた難解なのである。
  私が標準語で話すために、向こうはテレビで聴き慣れた言葉であるためか、私の話は理解できるのだが、問題はこちらが聴く立場になると、突然理解に苦しむことになるのだ。まるでフランス語で話を聞いてくれ、ドイツ語で尋ね返されている雰囲気なのだ。
  私は、「え?(それはどういう意味なのですか?)」と何度も尋ね返すが、なかなか細部までは常に理解できない。最後は、解らず仕舞いに微笑み返し、向こうは納得して貰ったのかと微笑むという形で終わってしまう。

  その程度しか会話は進まないが、私はこの旅館の中で暮らす、ユウジさんという男が大好きなのである。
  彼は尻屋という厳しい自然の中に、完全に溶け込んで生きていた。

  ユウジさんは、朝夕の二回、旅館で出た残飯を、カモメにやるために、裏の海岸へと向かう。
  カモメやウミネコ、そしてカラスたちは餌をやりに来る彼の姿をちゃんと覚えており、毎回本日掲載した写真のように、集まってくるという訳である。

  海岸にて夕陽の撮影をしていた折に、タイミングよく現れたユウジさんを、私はやっと間近で撮影することができた。心の準備をしていなかったため、ストロボを持ち合わせていなかったことが、多少残念に思えた。

  彼の笑顔を見るたびに、私はなぜか心が和んでしまう。
  それは、たとえ言葉は理解できなくとも、海と共に暮らす『男、ユウジ』という人間の暖かさが滲み出た笑顔だからかも知れない。

  本日の写真は、撮影した時間を遡った順番で、つまり映像は一番下から撮られ、時間を追って上へと逆に並べてみました。

〔本日の写真は青森県下北郡東通村岩屋の海岸にて撮影〕

撮影日〔2002年11月8日〕

※ EOS-1Dにて撮影されたRAWファイルをJPEGに変換し、リサイズにより掲載。

【写真1】
 
【写真2】
 
【写真3】
 
【写真4】
 
 
使用機材
撮影カメラ
Canon EOS-1D
撮影レンズ
EF35-350mm
その他