※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
 
本日【2001年8月29日(水曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【夏祭りの季節22/青森ねぶた14・『ラッセランド』でのスケッチ1<ねぶたとホタル>】
 
 
本日は7枚の写真を掲載致しました。
だいぶ重くなっておりますので、出揃うまで文面を読んでお待ち下さい。


ねぶたとホタル

私が中学の頃まで、弘前の実家の近くには田園が広がっていた。
もともと私が住む家が、田んぼを埋めて開いた新興住宅街であったから、至極当然のことなのだが、田園を耕し、水を引き、広い田んぼに水が張られる五月になると、地中から這い出してきた蛙たちが出産の時を迎え、夜ともなれば蛙の合唱が闇を裂いて響いてきた。

五月から六月になって稲が伸び、ねぷたの囃子を練習する笛の音が聴こえて来る頃には、稲の細長い葉に無数の平家ボタルが現れ、黄緑色の明滅を繰り返していた。

ホタルの羽化には周期があり、早ボタルは六月下旬から飛び、遅ボタルは、ちょうどねぶた祭が終わった頃に翔び、やがて姿を消した。
町を練り歩き、町内に帰って来るねぷたを待っている間、私はそんな遅ボタルを捕まえ、時間を潰した想い出がある。
ホタルは連れて帰ってもすぐに死んでしまうことは知っていたので、ねぷたの明りが遠くから見えて来ると、握っていた左の拳を開き、ホタルを逃がしてやった。
ねぷたの淡い輝きと、響き来る囃子に見送られるように、今年最後のホタルは再び田園へと翔んでゆく。
私の中では、ホタルの光とねぷたの明りは、切っても切れない風物詩となっていた…。


JR青森駅から徒歩で8分。
青森の特産物を売り、青森の歴史が勉強できる青森観光物産館(アスパム)裏に、出陣前のねぶたが休むねぶた団地『ラッセランド』がある。
この団地は、ねぶた達にとっては本体を収めるだけの、ただの団地ではない。
謂わば生家そのものなのだ。

ねぶたの骨組みの本格的な製作は毎年6月から、この『ラッセランド』で始まる。
人間でいうところの骨格には木材が使用され、細部は針金で形造り、中に800個にものぼる蛍光灯や電球などを設え、配線する。

6月下旬には、一つのねぶたにそれぞれ十数人のパートのおばちゃんたちがつきっきりで、針金に紙を貼ってゆく作業へと移る。
この紙貼りには、約10日が費やされ、やっとねぶたらしい形となるのが、7月の上旬である。

ねぶた祭を一月後に控えたこの頃、『ラッセランド』も俄かに騒がしくなってくる。
賞とり合戦を常に競っている数名のねぶた師たちが、今年はどんなねぶたを創ったのかが、形となって現れてくる頃だからである。
スパイも横行し、それぞれのねぶた小屋の出入りも厳しく制限されたりもする。
そんな中、小屋の中では、書割(かきわり)と呼ばれる、純白のねぶたに、墨で輪郭を描く作業へと移行しはじめる。
ねぶた師にとって、書割を何かに例えれば、だるまへの入魂式に等しいと思われる。
良くも悪くもねぶたの表情を決めてしまうのが、この作業なのだから。

書割が終わると、今度は蝋引き(ろうびき)という作業が待っている。
蝋引きの主な目的は、ねぶたに色付けした際に、色と色が混濁することを防ぐ効果がある。
ねぶたを色付けする絵の具は水溶性であるため、色同士が重なると混じり合い、とんでもない色合いになることがある。
誰しもが、小学校の図工の授業で経験していることだと思う。
その際、色と色が交じり合わないように、油性のクレヨンやクレパスを用いた絵を描いた方も多いだろう。
水溶性の絵の具を分断するクレヨンやクレパスの役を演じるのが、ねぶたの場合、蝋ということになる。
蝋はクレヨンのように水を弾く効果があるため、ねぶたの色と色の境目に、筆で塗りこんでゆくのだ。
蝋引きとは昔、蝋燭の蝋を使っていたことの名残であり、今はパラフィンを溶かしたものを使用するという。
蝋は塗り方次第で、紙に厚みができたりし、それが乾くと禿げてくる場合がある。
蝋を溶かす火が強すぎたり、長く火にかけていると黒く煤けて、使い物にならなくなることもある神経質な画材であった。
パラフィンが使われるようになったのは、蝋よりも遥かに扱いやすいという利点があるのだろう。
そういえば、今のねぶたは、私が幼かった頃のように、蝋の匂いがしない。
昔は、青森ねぶたや弘前ねぷたは強い蝋燭の臭気があったものだった。
蝋のあの独特の香りは、今も当時の頃を思い起こさせ、私には強い鎮静効果があるように思えてならない。

蝋引きには色の混濁を防ぐ他にも、真っ白いねぶたの紙に塗りこむと、明りを半透明に透かす効果があり、輪郭を引きたてるにも用いられる。
ちょうど白い紙を透かした感じが、障子越しの明りのような淡い光となるのに対し、蝋引きをした半透明の箇所は、すりガラスを通したような明りとなるのだ。
これによって、ねぶたの中に明暗の強弱がつけられる。

7月の中旬からは、いよいよ色付けが始まる。
昔は大小の筆を使い分け色を塗ったものであったが、今は壁に色を塗る際に使われる電動のスプレーなどを使い、色の濃淡をつけながら塗るっているらしい。

色付けが終わる7月の下旬には、いよいよ完成したねぶたを、車輪が付いた台に荷揚げする台上げ(だいあげ)と呼ばれる作業に移る。
この台上げの様子は、地元のテレビでは常にニュースとして流され、ねぶた祭が近いことを、人々に知らせる役割も担っている。
台上げが終わると、ねぶたの周りに提灯や飾りがつけられ、運行の日を待つことになるのだ。

このように、ねぶたは実質約2ヶ月かけて造られるのであるが、実際はもっと以前から製作は進行している。
その作業は、人々の目につかない場所で行われている。つまり、ねぶた師の自宅なのだ。
ねぶたを造るには、家でいうところの設計図が必要だというのは誰にでも解ると思う。
その設計図にあたる下絵を描く作業に、ねぶた師は多くの時間を費やしている。
三国志や日本の歴史書を紐解き、今年はどんな題材を使用するかを決め、下絵を描くのに大切な時代考証のための資料集めに日々奔走する。
その地道な作業は、前年のねぶた祭が終わった翌日から始まっているとも言われているのだ。
一つのねぶたの完成までには、ねぶた師や人々の言葉には言い尽くせぬ苦労が潜んでいるとも言える。

そう考えると、ねぶたは、ホタルに似ていると思う。
たった一週間の祭のために、一年間という時間を費やされるねぶたは、その殆どを田園の闇で過ごし、一週間だけ空を飛び周り、交尾し果てる、ホタルの一生そのものではないか。

どちらも光り輝くことで人を楽しませ、短い一生を終える。
そんな儚い運命のねぶたが、唯一寛げる場所、それが母の胎盤でもある、この『ラッセランド』なのかも知れない。

青森ねぶたと弘前ねぷたの違いこそあれど、今も私の瞼には、左手の拳から翔びたち、中空をおのおの舞って消えて行く黄緑色の光跡が、ねぷたの見送り絵と重なり、残像のように瞼に焼き付いて見えている。

〔本日の写真は青森県青森市にあるねぶた団地『ラッセランド』にて撮影〕
撮影日〔写真1,3,5,7,は2001年8月4日/写真2,4,6,は2001年8月6日〕

【写真上1】Canon IXY-DIGITAL200にて、マニュアルモードに設定しAE撮影。
ホワイトバランス・曇り。
 
【写真上2】ミノルタ DiMAGE7でオート(プログラム)撮影。
画質/ファイン。
 
『ハロー・キティー』の『りんご娘』と『ハネト』バージョンが売られていた。

【写真上3】Canon IXY-DIGITAL200にて、
マニュアルモードに設定しAE撮影。 ホワイトバランス・曇り。
 
【写真上4】ミノルタ DiMAGE7でオート(プログラム)撮影。
画質/ファイン。
 
【写真上5】Canon IXY-DIGITAL200にて、
マニュアルモードに設定しAE撮影。 ホワイトバランス・曇り。
 
【写真上6】ミノルタ DiMAGE7で
オート(プログラム)撮影。 画質/ファイン。
 
夜の運行ほどではないが、これだけの観光客が 『ラッセランド』には集まって来る。
しかし、こんな場所があるということは、ねぶたを観に来る人々の間でも、
まだまだ知られていないのだ。

【写真上7】Canon IXY-DIGITAL200にて、
マニュアルモードに設定しAE撮影。
ホワイトバランス・曇り。
 
 
使用機材
撮影カメラ
ミノルタ DiMAGE7 / キヤノン IXY-DIGITAL200