※ このページは、2000-2004年まで続いたHP『津軽海渡のデジカメ紀行』に掲載していた写真や文面を、そのまま復刻させたものです。
   リンクは既に繋がっていないものが殆どであるため、その旨御了承下さい。
 
本日【2001年8月17日(金曜日)】の1枚の写真は!?
 
 
【夏祭りの季節/弘前ねぷた5 暮れ六つ時の弘前ねぷた】
 
 
本日は5枚の写真を掲載致しました。写真が出揃うまで今しばらく御待ち下さい。m(__)m


本日の写真は、Canon IXY-DIGITAL200のみで撮った5枚の写真でお送り致します。

その昔、午後六時頃の時刻を、『暮れ六つ時』とも酉(とり)の刻とも言った。
ちょうど日が暮れて、灯火の明りが町々に揺らめく時刻である。

電気などなかった時代、街道は闇に埋もれ、行商人もこの時刻までに店や自宅へと必ず入った。
軒先からは、宴や夕餉の煙や喧騒が洩れ、人々は囲炉裏を囲みそれぞれの団欒を楽しみ、寺からは時を知らせる鐘が鳴り渡る。

その鐘を合図に、真夏の夜、津軽の人々はどっと街へと繰り出した。
人々の中には子供の姿は殆どなかった。大人の娯楽が待っているためであるが、それは何も芸者や遊郭などの下の遊びではない。
なんと、ねぷたを観るためなのだ。

その昔、ねぷたは大人達にとって、夏の最大の娯楽でもあった。
ねぷたをもっと楽しく観るために、若者たちは手に木刀を持ち歩き、ねぷたの後に従った。
彼等は今のように絵を見て楽しむのではなく、これから起る喧嘩を見物し、隙あらば自らも喧嘩に加勢する目的もあったのだ。

血気盛んな今で謂うヤクザまがいの男達の手によって、ねぷたは運行され、街を徘徊した。
細い城下町でのこと、向こうからもねぷたがやってくれば、たちまち通りは相対するねぷたで塞がれた。
碁盤の目のように張り巡らされた城下であれば、簡単に回避もできた。
しかし、男達はそれを潔しとしなかった。
真向から相対し、喧嘩によってどちらが道を譲るのかを決することを望んだ。

喧嘩が始まると、たちまち血が流された。
北国特有の白い肌は、みるみる鮮血で染まり、真っ白な晒(さらし)は、赤い衣装へと衣替えしたかのようであったらしい。
喧嘩が終わった路上には、腕や指や肉片などが、落ちていたという。
一応警察なるものは当時から津軽にも居たが、喧嘩が始まると、全く手のつけようがなかった。
それよりも、白い制服が血で染まるのを毛嫌いした。今のように、血痕を簡単に洗い落とせる洗剤など、なかったであろうから。

あっちで喧嘩が始まったぞとなると、通りの人々は一気に喧嘩現場へと動き出した。
その人の動きを見て、周囲の人間も動き出すので、狭い街中は、一気に流れこむ砂のように通りを埋め尽くしてしまう。
そんな野次馬の声援や野次を背景に、男達はますます喧嘩に熱中し、そんな喧嘩を観る女も粋とされた。

僅か数日間のねぷた祭の期間中、喧嘩によって何人かの死者が出た。
今年出た死人の数は、相対したねぷたへの遺恨として相乗し来年の夏、新たな火種を呼んだ。

遥か昔の出来事であり、津軽の夏を彩った祭は、今は平和裏に進められている。
暮れ六つ時という言葉同様に、やがては消え去ってゆく運命にあった『喧嘩ねぷた』だったが、人々は何もかも忘れて、一夏の喧嘩に明け暮れた時代が確かに存在した。

ねぷたの灯籠の中、ゆらめく炎の明りは、血生臭い祭の中で死んで行った人々の、祭にかけた魂の炎なのかも知れない。

〔本日の写真は青森県弘前市内にて撮影〕

撮影日〔1,3,5,は2001年8月2日/2,4,は8月3日〕

【写真1】 Canon IXY-DIGITAL200にて、
スローシンクロモードに設定し、フラッシュを用い撮影。
ホワイトバランス・曇り。

 
【写真2】 Canon IXY-DIGITAL200にて、
スローシンクロモードに設定し、フラッシュを用い撮影。
ホワイトバランス・曇り。
 
【写真3】 Canon IXY-DIGITAL200にて、
スローシンクロモードに設定し、フラッシュを用い撮影。
ホワイトバランス・曇り。
 
【写真4】 Canon IXY-DIGITAL200にて、
スローシンクロモードに設定し、フラッシュを用い撮影。
ホワイトバランス・曇り。
 
【写真5】 Canon IXY-DIGITAL200にて、
スローシンクロモードに設定し、フラッシュを用い撮影。
ホワイトバランス・曇り。
 
 
使用機材
撮影カメラ
Canon IXY-DIGITAL200